表現の制限
漫画だからできる表現がある。
しかし、漫画だからといってしてはいけない表現がある。
漫画に限らず、小説やSNS、普段の会話での発言にしてもそうだが、「表現の自由」と同時に「表現の制限」は必ずある。
近年表現に対して、人々はとても敏感になっているように思う(背景にはSNSの普及があると私は考えている)。一般の人が普通に使い発信するツイッタ―でも、ちょっとした発言が大きく取り上げられ、それに賛否両論発言者の知らない人の間で話題になり、時には炎上したりするのだ。
漫画は事実を伝えるというよりも、大きく表現して分りやすく伝えることの方が得意だし、
私たちが広告ツールとして制作している漫画は、そうした表現も数多くある。
しかしそんな漫画で表現するうえでも同じく、「表現の制限」があると言えるだろう。
それはそうだ。得てして賛否両論の中にはマイナスの要素も混じっている。
否定されること、傷つけられること、気持ちいい人間などいない。そしてどんな場面でも、当然漫画だから許されるということはない。
だから何かを「表現する」ということの面白さを知っている現代人は、それと同時に、表現する難しさを感じ、時には口をつぐんでしまうのだと思う。
しかし、その制限の上でもたくさんの人を楽しませる、惹きつけるものは作れるはずである。
つぐんで当たり障りないものを作るのではなく、制限の天井まで目一杯表現すること。そうした模索が、また新たな「表現の自由」になるのではないかと思う。
「制限」とは不自由なことではないのだと、感じた次第です。